金継ぎの歴史|発祥の地は?伝統技法と魅力を詳しく解説!
破損した器を漆と金で修復することで、美しく味のある芸術的な器に生まれ変わらせる金継ぎ。
その歴史は15世紀の日本からはじまりました。
このページでは、歴史の長い伝統技術である金継ぎの発祥の地や魅力を解説します。
金継ぎの歴史
金継ぎの始まりは15世紀にもさかのぼります。
ここでは、その奥深いルーツをたどっていきましょう。
漆を使った修理はいつから?
漆を使った器の修復は縄文時代から続いているといわれており、漆が先端についた石の槍が発見されています。
日本だけではなく、中国でも漆による修復が行われていた痕跡が残されており、古くから接着剤として重宝されていたことがわかります。
その当時は金粉は使われていませんでしたが、朱色のような土から採取できる塗料で装飾されていました。
金は使われていなかったので『漆継ぎ』と呼ばれており、ポピュラーな接着方法として親しまれていたようです。
金粉を使った金継ぎはいつから?
元々は金粉は使わずに『漆継ぎ』と呼ばれていましたが、いつから金継ぎと呼ばれるようになったのでしょうか?
明確な時期は明らかになっていませんが、さまざまな説のなかでも室町時代の茶道の繁栄がきっかけという説が有力とされています。
特に盛んだったのが戦国時代と安土桃山時代です。戦国武将たちが権力争いにいそしむと同時に、陶磁器などの美術品も注目されていました。
美しく繊細な美術品を長く楽しむ手段として、金粉をあしらってヒビなどの破損を装飾のように彩る金継ぎは、まさに時代の需要に合った技術といっても過言ではありません。
徳川家康が日本統一を果たした江戸時代初期でも重宝され、金継ぎをすることでむしろ美術品の価値が上がるほどでした。
現代の簡易金継ぎやアート作品
日本古来から親しまれてきた金継ぎは、数百年以上の時を経た現代でも、その人気は衰えることがありません。
漆ではなく、現代で便利な材料を使用して手軽にできる『簡易金継ぎ』も注目を集めており、修復ではなくアートとして使われるケースも増えています。
『呼び継ぎ』という技法も人気です。
呼び継ぎは、異なる破片同士を接着させる金継ぎの技法です。
欠けた破片を紛失してしまった時などに、別の器の破片から合うものを探して接着させることができます。
最近では器を呼び継ぎするだけでなく、呼び継ぎを利用したアクセサリーも人気です。
金継ぎ暮らしも、呼び継ぎを利用したアレンジレシピ本を出しております。
さらに、この呼び継ぎは最近生まれた技術ではなく、歴史的な美術品にも用いられた痕跡が見つかっています。
織田信長の弟、織田有楽斎が愛用していた器に、まさにこの呼び継ぎが施されていました。
参考:心の時空
銘『呼継』
海外で金継ぎの伝統技法が人気
金継ぎの芸術的な価値は、日本に限られたことではありません。
金継ぎされた器は海外からも高い人気を誇っています。
人気の理由はたくさんありますが、その一つとして破損した器を捨てずに修復し、傷を装飾としてあえて活かす斬新な発想があります。
日本の “もったいない精神” がよく反映された技術として、海外の著名人などが高く評価しています。
私たちの教室でも、最近は海外のお客様が増えてきました。
ツアーのなかにも組み込んでいただいてますので、メジャーになっているんだなと感じます。
金継ぎキットも英語版が販売されていますし、海外でも金継ぎが楽しまれています。
金継ぎはなぜ金で繕うの?
金継ぎに金が使われるようになった理由は、輸入した高価な茶器の破損を美しく見せるためだったという説があります。
金継ぎの始まりとされる室町時代では茶道が流行しており、当時の貴族のなかには中国から高級な茶器を取り寄せる人も珍しくありませんでした。
しかし、形あるものはいつか壊れてしまうもの。高級茶器も例外ではありません。
「高価な茶器の美しさを保ちつつ、傷を修復させるには」と考えた結果、漆で修復したところに金粉や金箔を重ねて傷すらも芸術にする金継ぎが誕生したのではないでしょうか。
まとめ
破損した食器の傷に金粉や金箔をつけて目立たせることで、芸術的な装飾として活かす技法の金継ぎ。
その歴史は、15世紀の日本にまでさかのぼります。
長い歴史のなかで親しまれてきた金継ぎは、修復方法としてだけでなく、アート技法としても浸透してきています。
日本ならではの “もったいない精神” が表現されたかのような金継ぎは、海外からも高い人気と注目を集めており、体験ツアーが組まれるほどです。
最近では初心者でも挑戦しやすい簡易金継ぎキットの販売や教室なども増えているので、趣味としても始めやすいところも魅力といえるでしょう。
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